「破天荒」にチャレンジした紳士
- 坪田知己
- 2021年7月25日
- 読了時間: 3分
森靖孝さんと知り合いになったのは、2003年に私が慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の非常勤の教授になった時だった。
資生堂の常務だった森さんは、物静かな紳士だった。
一度だけ、森さんの講義を聞いた。それは、資生堂が香水事業を始めた時の話だった。
日本女性は香水を使う習慣がないが、世界の化粧品会社は著名な香水ブランドを持ち、それで大きな利益を上げている。そこで、資生堂はフランスに香水の会社を作った。その指揮を取ったのが森さんだった。
気位が高く主張の強いフランス人を、日本の会社のために働かせることがいかに大変だったか——。とにかくこの事業が成功して、資生堂は世界屈指の化粧品会社になれた。
見かけは温厚な森さんだか、電通の「鬼十則」にある「 取組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは」というような強靭な精神を持った人だった。
私も1989年に、日本経済新聞社で「やがて紙の新聞はなくなり、ニュースは電子通信で知る時代が来る」と予言し、1994年から約1年半かかって、世界一のパソコン通信会社「アメリカオンライン(AOL)」との提携を果たし、のちの「日経・電子版」の序章となるニュース配信事業を立ち上げた。
AOLとの交渉では鼻息の荒い急成長ベンチャーの幹部と渡り合わねばならなかった。
「東洋の化粧品会社が香水を売るなんて」と言われた森さん、「ニュースを電子で運ぶなんて」と言われた私。
笑いものにされ、馬鹿にされても、破天荒な目標に突き進んだことは共通している。
「決して怒らない。決して声を荒げない」というのも同じだった。
そんなことで、森さんはお手本でもあり、年の差はあったが盟友のような親近感があった。
もう一つの思い出は、ある時、國領ゼミの合宿の懇親会で、森さんは、國領二郎先生に、「先生はハーバート大学で博士号をとったほどの学者であるのに、学生の話を丁寧に聞き、いつも謙虚でいらっしゃるのはどうしてですか」と尋ねた。
國領先生は「自分に自信があるからだ」と答えた。
「そうだ、自分に自信のない人間は怒ったり、横柄な態度を取るのだ」と気づかされた。私が取材した森喜朗元首相はそんな政治家だった。中曽根元首相は謙虚だった。
この時の森さんの秀逸な質問と、國領先生の完璧な受け答えに感動した。
SFCでの授業の後、メンター諸兄と、湘南台の中華料理店でアフターセッションをした。森さんは常連で、穏やかな笑顔で様々な経験を語ってくれた。
資生堂の福原義春名誉会長の特別講義を実現したのも森さんだった。「ゴルフは時間の無駄」と読書に勤しむ福原さんに、私は部長時代に取材したことがあり、財界で最も尊敬する経営者だった。
近年は病気がちだった森さん。もっと話を聞きたかった。
あの優しい目と、穏やかな語り口が今も鮮明な記憶として残っている。
ご冥福をお祈りします。
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